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月明かりの宵の酔い

昨日は、この集落のお祭りの日でした。
夕方、6時ごろでしょうか、
太鼓と笛の音が少しずつ近づいてくるのがわかったので、
外に出てみると、
目の前の農道をお神輿が通り過ぎようとしていました。

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それはそれは、小さくてかわいいお神輿のお通りでした。
先月、花巻で大規模なお祭りを見たばかりだったので、
それとは対照的なお神輿のお通りでしたが、
「しょい、しょい!」という真剣な掛け声もすぐさま飲み込んでしまう、
真っ暗な田んぼの闇は、花巻のそれとはまた違っていて、
なんだか恐ろしいぐらいの田の神の存在を感じました。

人間の営みなんて、こんなにちっぽけだったのか。
そう知らされれば知らされるほど、
見えないチカラを感じます。

そうして家に戻りTVをつけると、NHKが写り、
儒教やキリスト教といった宗教が、
いま中国全土で急速に信者を増やしているドキュメンタリーをやっていて、
安ワインをあおりながら、それに見入ってしまいました。

中国では金拝主義の反動で、いま人々は本当の人間らしい生き方を問い始め、
自分自身の反省も含め、宗教に目覚め始めているとのこと。

「洗脚礼」といって、自分の父母の脚を洗いながら号泣する子どもと、
その子どもを見下ろしながら感動のあまりむせび泣く親の姿には、
涙を通り越して不気味ささえ覚えたのですが、
金儲け主義に疑問を覚え、人としての生き方に気付きはじめている大国の姿には、
なんだか感動と共に親近感を覚えました。

でも、信者たちが演説者が配るDVDに、我先にと群がって、
人を押しのけてでもそれをゲットしようとする浅ましき姿には、幻滅。
問題はそこだよ!
「我先に」ではなく、「他先に」という譲り合いの精神こそ、
儒教やキリストの教えではないの?
そんな憤りを感じたとき、東日本大震災の起きた直後に、
トイレットペーパーを買いにあさった主婦の姿を思い出し、
なんだかとてもやるせなくなり、落ち込んでしまった。

酔いを覚まそうと外に出ると、
真っ暗な夜空には大きな月が輝いていました。

その美しさに助けられて、少し元気を取り戻した僕は、
このまま寝てしまいたい、と布団にもぐる。

うとうとと夢の入り口で、引っかかった言葉。

絶望と空虚。
フェノロジー(生物季節)。

何があるとも、生きているという事実。
何はともあれ、生かされているという事実。


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 勝浦だより

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