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言葉の重み

日本って、言葉の意味より言葉の重さが左右する国だと思う。
言葉の意味とは、文字通り言葉が持つ意味。
誰が使おうと、同じ意味を持つ。
つまり共通言語になるということ。
言葉の重さとは、使う人や使う時によって変わる質量みたいなもの。
一つの言葉が、使う人と聞く人によって大きく解釈が異なってしまう。
だから共通言語になりにくい。

土曜日の夕方、いつも見るテレビ番組に登場する、出光興産のCM。
キッザニアで子供がガソリンスタンドでスタンドマンの体験をする。
とても楽しく有意義な一日。
帰りにクルマから見える出光のガソリンスタンドに「あ・・・」といって見つめてしまう。
そこにかぶさるコピーが「ニッポンにエネルギーを。」

蜃コ蜈雲convert_20151024195753

とても素敵なCMで、僕は個人的にグッとくる。
同じ業界にいて、うまいなあ・・・と感心する。

一方で面白半分こんなことを想った。
「子供がガソリンスタンドに就職したい、と思ったらどうなの?
そうしたら、エネオスやシェルでも、出光じゃなくてもどこでもいいんじゃないんですか?
子供がガソリンスタンドで一生バイトの生活でいい!といったら
親としてそれは嬉しいのですか?」と。
実はこの意見は、僕の意見というよりクライアントのお偉い方からよく聞かれる視点なのです。
つまり僕は、作る側の立場とクライアントの判断する立場の両方に立って、
この記事を書いているのです。

で、こういうことを言われると、
たとえ言っている人(特にお偉い立場の人)が、面白半分で言ったとしても、
こういわれると、妙に理屈が通っているので部下は「仰せのとおり!」なってしまう。
そこで企画した代理店とかに、
「これじゃ出光のCMじゃなくて、ガソリンスタンドのCMである。
つまり、差別化できていない。」と。

こうなってくると、もう理屈の世界に入ってくる。
理屈の世界ではその通りだ。
でも感覚の世界では、
「ああ、なんかいいCMだね。出光ってやっぱりいい会社だね。」
という感じ(つまり悪い感じは決してしない)だとおもうのだが、
それが否定されてしまう。

作る側と見る側の大きな隔たりは、いつもたいていここにある。
それをどうやって覆すか、なるほど!と思わせるかが、代理店の勝負のしどころ。
一方で、そういうことを思いついたがままに
(受けを狙っているのかもしれないし、存在感を示すために言っているのかもしれないけれど)
言えてしまう(というか言ってしまう)立場の人は、
もう少し冷静に自分の発言の重みを知ってほしいと思う。

日本の広告は世界の広告の中に放り投げると、
ガラパゴスのごとく通用しないといわれている。
日本でしか通用しない言語である、と。
そしてそれが、今回のマンション建設における偽装データという
ずさんな結果を生む温床になっているような気がする。

上に行けば行くほど、人生はアガリに近づいてくる、
アガリに近づけば近づくほど、緊張感が薄れ、軽薄な発言が増えてくる。
やっと言いたいことが言えるようになった!とばかり・・・。

僕は53歳。
僕の同期は、だいたいこういう人生のトンネルの出口に近いところにいる。
そういうときこそ緊張感を持ってほしい。
最近元いた会社の人たちと久しぶりに旧交を温める機会が多くなってきた。
大企業にいればいるほど、
管理職の責任は、言葉の重みにある、ということを、是非自覚して欲しいと思う。

僕はこの出光のCMが好きです。
このCMを見て、子供に出光はいい会社だよ、といいそうな気がする。
見ていて、斜め目線の理屈を思いついてしまうけど、
そんなことあっという間に忘れてしまいます。
そんな後味が好きです。








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